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足跡Ⅶ ~プライド~
2010/06/24(Thu)
 
 ”足跡”シリーズ。。。最近になればなるほど、書くことを躊躇する自分がいます。
思い出せなかったり、過去と向き合えなかったり、そんな時、過去に書いていた
ブログ、(ミクシー)が助けてくれるときがあります。
何度か脱退を考えたこともあるけど残しておいて良かったな・・・そう思います。
過去の自分を読む事、感じることができるから。

 そして、、、思う。 今も同じところでグルグルしてるな~って・・・

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 2009 春。 学年が変わり長男は5年生に次男は3年生になった。

この頃 嬉しい変化があった。
長男がしばらく休んでいたバスケクラブに行けるようになった。
元気ではあるけど体調は万全ではなくまだ食も細くお腹をさすることも
月に一度ぐらいはあった。
そんな中 バスケの練習に行けた事や緊張しながらも自ら試合に出られた事は
長男にとって少しずつ自信をつけていけたことだと感じます。

春休みが終わり新学期。
 私というと長期休み明けは決まって”学校へ行く”という事に期待した。
期待と共に、長男を行かせる方向へ仕向けそれを感じた長男は
行くざるえない選択を余儀なくされ、それは私の押しつけに過ぎなかった。
”どっちでもいいよ””行けるなら行ったらいい”という言葉とはかけ離れた
裏腹な気持ちは長男は十分に感じとったことだった。
そして違うかたちで言葉や態度に出ていたと思う。

 6月中旬、五月雨登校をする中、野外活動に行くことが出来た。
私は行けるか行けないかの心配はしていたけど、行かない方が心配しなくて
すむ・・・という思いと行ければいいなとい思いがあった。
行く行かないは長男に任せよう、、、この頃からようやくこんな思いを
持てるようになったような気がします。
 2泊3日の野外活動は長男にとって不安なことだらけであまり楽しめなかった
ような感じだった。

野外活動後、学校からの電話が度々くるようになっていった。
担任から「お母さんにあいたい・・・」「家に帰りたい・・・」と言ってますと。
私は電話音を聞くたびに心臓がドキドキするようになったり学校へ行っていても
私自身が家で落ち着かずいつ電話がかかって来るか分からない為 外出はできなかった。
そんな自分に疲れてしまい長男の気持ちを分かってというより
私の気持ちを優先にし、辛い自分から逃げる為に学校へ行くことを渋る
長男へ”行かなくてもいい”ということを本心からではなく
家にいてくれた方が”私自身が楽”だという気持ちから受け入れた形となった。

 だけど好きな時間に起き、好きな時間に食べ、好きなゲームを一日中して
次男が帰ると次男の友達に交じって遊び・・・
長男に対し怒りがこみ上げる毎日だった。
そんな笑顔さえも苛立つこともあった。
この”怒り”は私自身が学校へ行かなくていいと言ったはずが心では
そうは思ってなくて、、、その間のモヤモヤが苛立ちとなり嫉妬にも
なっていった。 その矛先は、数々の条件付きでの不登校生活となり

「勉強をここまでしたら、ゲームしていいよ。」
「~しないとバスケに連れて行かないよ」とか・・・
長男の為・・・といいながら意地悪な私がいた。
この意地悪な私は今でも少なからず存在しています。

 夏休みを控えた7月頃、次男が腹痛を訴えてきた。
私が一番 恐れていたことだった。
 次男はクラスでもリーダー的な存在、物言いがはっきりしていて
人気物。そんな次男は私自身、頼もしく感じ誇らしく思っていた。
自慢でもあった。
タイプが対象的な二人に私は今までどれだけ差をつけて育てたのか・・・
愛情は次男の方へ傾いていた。 
そしてその愛情を傾けることを取得させてしまってのも私。

 傾いた愛情が段々長男に向けられるいく不安。
次男は自分の存在を感じとっていたのかもしれない。
元気にいる長男が学校行かず、玄関先で「いってらっしゃい」と手を振る。
次男はうつむき加減で学校へ行っては
「長男はどうして来ないの?」と長男の同級生に聞かれ、
時には「長男、ずる休みだろ?」言われたこともあったようです。
学校のことを良く話す次男はそのことは話さなかった。
聞いたのは今年になってからでした。
 それまで、次男はずっと我慢していた。
長男を守る為、、、私を守る為、、、
家族を守ろうと自分の心を傷つけてまでも。。。

 だけどあの時の私は そんな次男の心よりも自分の気持ちにしか感じることが
出来ないでいた。
 自慢の次男までもが不登校に・・・休む日が1日・・・3日、1週間となる度に
私の気持ちは愕然とした。
 次男の気が済むまで休ませようという思いの半面、次男の性格からすぐに行けるように
なるだろうと信じた。夏休みに入っても、夏休み明けは行くだろうという期待は根強くあった。
 川に連れて行ったり、友達と元気に遊び、泊りに行ったり、、、元気になれば
学校へ行けるようになるだろうと思っていた。
 だけど、兄弟での不登校は休み明けも続いた。
 
 期待の大きさと比例するように私の心も落胆した。

 息子達の不登校をもって思い知らされ、私が持っていた、私が感じていた世間と自分の距離を
感じ 私の”プライド”が崩れ落ちた時期だった。

それは、今まで自分が家族や友人、恋人と距離感を感じ疎遠になってきたことを
思い出し、孤独感や苦しさや辛さを冷静に保とうする自分がいた。
 冷静に装うことは自分を守る為、感情を感じない為、逃す為に
今まで知らず知らず、自然と身につけてきたものだった。
そして、私を苦しめてきたことだった。

 まだまだ、自分と向き合うことを知ることは程遠い位置にいた。

 
 
 




 


 
 

 

 
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