2009 12 ≪  01月 12345678910111213141516171819202122232425262728293031  ≫ 2010 02
スポンサーサイト
--/--/--(--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
この記事のURL | スポンサー広告 | ▲ top
今日でお別れ
2010/01/31(Sun)
 とうとう、長年(産まれた時~結婚前まで)住んでいた借家の実家とお別れの日でした。

年末に引っ越す予定だったはずが色々とありまして今日までもつれこんじゃって^^;

 昨日まで父一人でその実家に住んでいました。

家族で過ごした日々、両親の離婚、姉妹ゲンカ、 柱に身長の線が書いてあったり、

壁に落書きしてあったり・・・たくさんの良い思い出も嫌な思い出も蘇ります。

 古く 空っぽになった家をみると、ほっと安心もするけれど 

なんだか少し寂しさと空虚感を感じます。 家の玄関を目の前にして

”今まで ありがとう”と心で言った。 家はもうすぐ壊されます。

  
 そして 父は今日から県営に住むのです。

県営といっても今まで暮らしていたところとは大違い。

以前ブログにも書きましたが1階は光が閉ざされ今にも床が抜けそうな

ボロボロの家。 今後 父が住む県営は北の窓からは目の前には川が流れ、南からは青い空と

山も見えます。 家具も電化製品も新しく揃えました。

 この、引っ越しにあたって 兄弟(長女である私、妹、弟)総出で手伝い・・・

いえ、ほとんど私たちが頑張りました。

 年金生活の父ですから、お金のことも。


そんな父は働き者だけど昔からお金にルーズでギャンブル好きな人。

 それと、お金の匂いには敏感で・・・癖があります。


私が結婚する前、働いていた会社に電話してきて、「~を払うのに○千円かして欲しい」とか・・・

「社員旅行で〇万円いるから貸して」とか・・・。

~払うって、その請求書がまた届いてるじゃん!

旅行だっていつ行くの? お土産は?!  

こんなの何度となく ざらにありました。

両親が離婚しても母が私の学費を毎月、父の口座に入れてくれていました。

だけど父は別の事に使い果たしてしまい滞納届けが来るまでわからず

卒業できるかできないかの時、母が同じ金額を再度、払ってくれたこともありました。

その他にも、

結婚資金を置いていたら(場所は覚えていないのですが)

 数日後、見当たらなくて・・・ 瞬間に父だと思い

 凄く腹が立ち、泣きながら父を問い詰めて聞くと色々と言い訳をし

”返す”といいながら返してはもらえませんでした。


私たちが金銭面でルーズな父を知ったのは母と離婚した後です。


先日 母に会いに行った時聞いてみた。

私  「父さんいつからお金にルーズだった?」
母  「結婚当初から内緒で借金があったよ」
私  「そのことはムカつかなかったん?」
母  「最初は全然わからんかったけど・・・腹は立たんかったね~」
私  「どして?! 裏切られたとか 嘘つかれたとか思わんかったん?
母  「ん~、そうね・・・またか~って感じだったよ」
私  「それだけ?」
母  「だって、言ってもきかんし癖だと思っとった」
私  「母さん、すごい 図太いんじゃね」 なんて話した。


お金を用立てて欲しい時の父の顔を見ると断われ切れない私たち兄弟です。

 結婚して父から2~3度の催促がありましたが、私は断りました。

それは、私が働いたお金ではなくなったからです。

そのことを、最近まで ”私は薄情者”だと思っていました。

貸せない。。。貸してあげられない自分ににモヤモヤしていたのです。

私が実家に立ち寄らない理由・・・家の雰囲気もあるけど

”父と金”のこともあるからです。 また、嘘の理由を言って

「カ・シ・テ・ホ・シ・イ・」と言う父の表情。

貸したくないと”断る自分”が嫌だということ。罪悪感にとらわれてしまうのです・・・

嘘をついていることを知っていながら貸すこと=貸しても戻ってこないという諦めだって。


 この度の引っ越しの時、弟が私たち姉妹に

「俺たち凄いよね・・・親にあんなことされてもこんなにできるなんて」と言った。

妹は「そんなん、仕方ないじゃん」と言った。

私はどうなんだろう?と自分の気持ちを感じてみた。

”仕方ない”とは思っていない・・・何もしないのは家族としてどうかと・・・いや、ちがう。

父に喜んでもらいたい。私が安心したい。=もしかするとこれで父が変わってくれるかも・・・

という期待とここまでしてあげたという私の満足感。

お金の代償として“気持ち”を受け取って欲しいのです。

その期待と満足感の先には裏切られる不安もついてくる。

 心で唱える。

”ここまでしたことは人間として親である父の為に私がしたかったこと。

 私は期待はしない。だから不安だって感じなくていいんだよ。

 父さん、私は残りの人生を幸せに生きて欲しいと願う ただそれだけ・・・”

 そんなことを思うのです。

こんな父親だけど 好きで歪んだ人生を歩んで生きてきたわけじゃない。

父は父なりに一生懸命だったと思う。

父は親になった私に一つ、一度だけ言った。


「アイ母、これだけは言っておく。
 子供の前で夫婦喧嘩を見せること、聞かせることは絶対するな」と。

勿論、両親のケンカを私たちは見たことがなかった。

一方的に母が言いたいこと言って不機嫌な態度をとり、父は聞いてない振り。

腹も立っただろうし言いたいこともあっただろうけど

私たち子供への配慮だったんだなぁ。

父は基本 無口な人で私が子供の頃から

 ~をしなさいとか ~したらいけないなどあまり言ったことはなかった。

だから、言われたこの言葉が妙に頭から離れないでいた。

 父方の祖母は亡くなるまで父から離れなかった。 

その祖母から若くして酒に溺れて亡くなった祖父の悪口を聞いたことがある。

おそらく父の幼少期は夫婦げんかの絶えない家族だったのだろうと

祖母のお葬式に父の兄弟が話す会話がそんな感じでした。

その会話は泥に漬かっていた、兄弟間の嫉妬、憎しみ、妬みなどが入り混じっていた。


 歪んだ世代連鎖を理解し、父のことを赦そう・・・赦したいと思えるのです。
 

 父には金銭面の他にも傷つくことを言われたこともあったし傷つくことを

されたこともあった。  けど、不器用ながらもやさしい父だし愛情もくれた。 

私が今から、向き合わなければいけないと思うヒントを心に残してくれた。

 今、思う。 どうして 頭から離れない言葉になったんだろう。


そして、私が”執着”していたのは主人ではないかと。

 
いつも、心がけていた。 主人と子供との会話だって割り込みしないように

操作しないようにと。 

 私たちの口ゲンカは、いつも子供ことばかり。

以前、子供たちに

「あんた達のせいで父さんと母さんはケンカになるんだよ」と言ってしまったバカ母は私です。

 存在さえも子供たちの心を傷付けていたのですね。

 
自分の軸を持ち、相手の枠に入り込まず、境界線を引き、自分と向き合う・・・問う

相手の気持ちは相手の物・・・ 赦し・・・手放す

 
 「大丈夫。 私がついてる。 私を信じて。」
 

目を閉じ、手を胸に当て何度も唱え乗り越えた壁がある。 
 



















  


 


 

  






  







 

 

 



 

 


 

 



 









 

 









 

 



  

  


 



 

 

 

スポンサーサイト
この記事のURL | 私事 | CM(6) | TB(0) | ▲ top
| メイン | 次ページ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。